先日、仕事を辞めました。
働いていたのは、八鹿町(ようかちょう)にある味噌屋さん
こがね味噌株式会社。
(おさんぽたじまより写真引用)
Cafe Fikaがオープンする3カ月前くらいから
・平日はFikaやらないし、アルバイトがしたいなぁ
・体がなまってるから、体が動かせる仕事
・いままでやったことない内容で、楽しそうな所
という感じで探し始めました。
ハローワークで探して、面白そうだったうちの一つが
こがね味噌でした。
こがね味噌株式会社について
先代のおじいさんの話によると、元々村岡に住んでいた先祖が、
八鹿に出てきて、いまの場所で味噌を作り始めたのが始まりらしいです。
こがね味噌の味噌は、内閣総理大臣賞を取るくらいすごい味噌で、
おじいさんの部屋には、総理大臣の名前が書いてあるでっかい賞状があって、見してもらった。
(どや!すごいやろって言ってた。)
実は、東京の銀座や目黒などのレストランや料亭、
海外にも出荷してたりするすごい味噌屋さん。
そんな会社が地元にあるなんて、働くまで全然知らんかった。
高校時代、駅から学校に行くまでに、こがね味噌の会社の前を通ってたけど、
ずっと廃業した空き家だと思ってましたすいません(笑)
(おさんぽたじまより写真引用)
味噌が出来るまで
味噌の材料は、米糀・塩・大豆。
この3つだけ。
たった3つで味噌になる。
シンプルだからこそ、難しい。
(おさんぽたじまより写真引用)
米を蒸し、糀室に移し、糀(こうじ)にしていく。
写真の白いのは、全部米で糀に育てている所。
この糀の出来で、味噌の味が決まると言ってもいいくらい重要。
サウナのような糀室での作業が、一番好きでした。
作業をやればやるほど、糀が可愛く思えてくるから不思議。
(おさんぽたじまより写真引用)
大豆は、鋳物の釜でふっくらと茹でていきます。
湯気が熱すぎて何回か火傷したし、たぶん落ちたら死ぬくらい大きな釜で茹でていきます。
大豆の煮具合も、実はけっこうシビアで難しい。
んで、この作った糀に、茹でた大豆と塩を加えて
熟成させると、味噌になります。
(こがね味噌株式会社より写真引用)
糀を作るのも、大豆を煮るのも、作った味噌のパッキングや出荷など、
ほとんどすべての業務をやらせてもらいました。
全部をやると、自分がこの味噌作ったんだ(実際作ってるんだけれども)
と感じられて、なんか感慨深かったです。
だって、自分の作った味噌が東京にある料亭とかレストランとか、
さらには、海外で使われてるとか嬉しくない?
味噌屋、マジ体力仕事
こがね味噌で働いて、すごくびっくりしたことは、
ほとんどの仕事が人力だったところ。
米や大豆の袋は、基本的に30kgで手運び。
浸漬した米や大豆を釜に入れるのは、バケツで人力。
味噌を一時保存しておく桶に味噌を入れると60~80kg。
んで、それを何十個も移動させたりする。
いままでやってきた仕事の中で、3番目にハードでした。
始めの1週間は、体力なさ過ぎて
家に帰ったら、飯食って、すぐ寝てた。
んで、オレに仕事を教えてくれたのが22歳の女の子だったんやけど、
30kgの米の袋とかをひょいひょい運ぶんよね。
別に、筋肉ムキムキとかじゃなくて、すらっとしてるんやけど、
すごい軽々と持つし、動きがすごいキレイ。
なので、その女の子の動きをどんどんマネるようにしたりしてた。
そしてなんやかんや、社長の動きが一番無駄がなくて、
早くて、力も最小限に動けて、合理的な動きやった。
270年の伝統が受け継がれるのって、
こういう、小さい動きひとつひとつの積み重ねとかなんかなぁ
って思った。
こがね味噌楽しかった!
というわけで、そんな味噌屋さんを退職しました。
まとめると、味噌屋さん楽しかったです!
まぁ、冬は寒いし、冬の水冷たすぎるし、
夏の糀室はサウナの中で運動してるみたいで地獄だし、
味噌も米も大豆も重いし、体力しか使わない職場なんだけれども、
逆に言うと、体力はつくし、お腹がめっちゃ減るので
お昼の弁当はとても美味いし、
個人的に、理想的な職場でした!
短い間でしたが、お世話になりました!